土曜日, 12月 06, 2014

人間はいともたやすく最善の選択肢を自ら拒否する

出来ることならばやり直したい

もしあの頃に戻ってやり直せたらということは山ほどあるが
やれることを全てやって上手いかなかったなら

ある悔しさや後悔が残っても程度諦めはつくものだ
または、その悔しさが今後の原動力になったりもする。

知識が足りないのならば勉強すればいいし
まったくの健康体にも関わらず運動が出来なければ運動しまくればいい

グダグダ言ってないでやればいいじゃない!
でもやる気にならないんだよな

やる気になってたら僕はもっと機材のインプレとか沢山出来るくらい
お金を稼いでいる気がするものw

一度ですら挑戦しない


海外のサイクルロードレース関連のニュースやインタビュー
機材のインプレも、ちゃんと英語が出来れば読めるのにな―
と思いつつ、ざっくり目を通すだけ。

勉強すればいいじゃない!
けどしないんだよなーーやる気がないから。

しかしやってみたら、案外ハマってしまいガツガツと貪るように
勉強するかもしれない、やればいいのだ
やる気がでないかどうかなんて、やってから考えればいいのにやらない・・・

ここ最近の天気はすごく寒い
新潟なんかは雪が降っているが、東京は降っていない
けど寒いし起きた時間が遅いから家で筋トレとかコアトレでもしておくか!

走ればいいのに・・・耐えられない寒さかどうかは外に出て
しばらく走ってから考えたっていいじゃないの
そのお高い冬用のウェアは何の為にあるのかね?

無駄なプライドが成長を阻害する


プライドには二種類ある、見栄を張るか、逆に自分を過小評価するかだ
この場合どちらの方が実害が大きいかといえば
”自分を過小評価する”方だろう

見栄を張った事により人に迷惑がかかる場合もあるが
あくまでも前向きと言えなくもない見栄を張りたいくらい必死なのだから、
見苦しくはあるが必ずしも非生産的とは言いがたい。

それに見栄を張ったおかげで事が好転する場合もあり
完全にラッキーとしか言い様がないが、プラスの側面あるということだ。

自分を過小評価することはデメリットしか存在しない
”私程度のものがおこがましい・・・”という考え方は得るものがなにもない
かと言って自らを防御出来ているわけでもない

過小評価というのは基本的に自己の可能性の否定でしかない
やる前にどうせ人より評価されないとか結果が出ないということに
縛られていては成長できない。

夢中になるという事こそ真の才能である


以下にフィジカルやセンスがあったところで、それに夢中になる
やる気がなければまったくもって意味がない

適当にやっていては何時か必ず
自分よりもフィジカルやセンスが劣る人間にフィジカルやセンスで負けるのだ
夢中になるということは時に遺伝子を超える時がある。

前に進むということはどこまで積極的になれるかだ


簡単な話、自分の健康を脅かす事以外を恐れる必要は
なにもないのであって積極的に未知の領域に足を踏み入れるべきだ

それが出来れば人生本当にバラ色なのだが
体がいうことをきかないどころか、心がいうことをきかないんですよね~w

アスリートの強さって単純に人間的な強さでもあるわけで
そりゃ彼らも完璧超人ではないから精神的に強い側面と弱い側が
あるだろうけど、自分のやるべきことに関しては基本精神的に強いのだ。

やりたい事とやるべき事が一致しているから彼らは強い


共に青春を謳歌ry
だから、寒くても走るんだ、まだ眠くない気がしてもあくびが出たら寝ておこう
これ以上走れないと思っても、人間は気絶するまでは動ける

フィジカルの余裕よりもメンタルの余裕のほうがよっぽど大切だ
でも人間はお間抜けさんなので、心を守ろうとして心を戒めるようなことばかりする
真の余裕はそんなことすら気にも止めない

安心して地獄の苦しみの中で笑っていて欲しい
少なくとも自転車において、超速く走るということはそういうことだ。

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